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世尊
『仏陀』より : 仏陀(ブッダ、buddha)は、仏ともいい、インドのサンスクリット語で「目覚めた人」「体解した人」「悟った者」などの意味。
一般的に日本では仏教の開祖、釈迦を仏陀と見ている、あるいは釈迦の尊称として仏陀が用いられている。しかし、インドなどでは釈迦独りが仏陀と規定されているわけではない。
仏教文献では、仏陀をさまざまな表現で呼んでいる(十号)。
如来(にょらい、tathaagata (sanskrit)) - 多陀阿伽度と音写されている。真実のままに現れて真実を人々に示す者。
応供(おうぐ、arhat (sanskrit)) - 阿羅訶、阿羅漢と音写されている。煩悩の尽きた者。
等正覚(とうしょうがく、samyak-saMbuddha (sanskrit)) - 三藐三仏陀と音写されている。一切智を具し一切法を了知する者。
世尊寺
世尊寺(せそんじ)は奈良県吉野郡大淀町上比曾にある曹洞宗の寺院である。吉野寺、比蘇(比曽)寺、現光寺、栗天奉寺とも呼ばれた。
聖徳太子が建立した48ヶ寺の一つとされているが、詳細は不明である。
『日本書紀』欽明天皇14年年5月の条に次のような逸話が載っている。
:河内の国司から「和泉群の茅渟海から地震や雷のように響くほどの雅楽が聞こえる。また、麗しく照り輝き日の光のようです。」と知らせてきた。天皇は怪しみ、溝辺直を使わし、海の中を探らせた。使いは海の中で照り輝く樟木を見つけ、天皇に奉った。天皇は匠に命じて、仏像2体を造らせた。今の吉野寺に光を放っている樟の仏像である。
同寺に残っている瓦や伽藍配置などから、少なくとも飛鳥時代(7世紀後半)には存在していたとされる。平安時代には清和天皇や宇多天皇が行幸し、また藤原道長が参詣するなど大いに栄えた。中世以降は、相次ぐ戦乱などにより荒廃した。
世尊寺家
世尊寺家(せそんじけ)は、藤原氏から出た氏族の一つ。代々書道の家系であり、その流派は世尊寺流として受け継がれた。
藤原行成が晩年、母の里方の代明親王の邸宅だった桃園第(平安京一条の北、大宮の西、大内裏の北郊で現京都市上京区大宮通一条上ルの西方)に隠棲し、邸宅内に世尊寺を建立し、またその子孫が世尊寺家を名乗り、代々そこを住居としたためこの名を名乗る。
初代藤原行成から17代を数えるが、17代目の世尊寺行季没をもって、世尊寺家は完全に断絶。
藤原行成(972-1027)
世尊寺行経(1012(あるいは1009)-1050)
世尊寺伊房(1030-1096)
世尊寺定実(-1131)
世尊寺定信(1088-1156)
世尊寺氏
『世尊寺家』より : 世尊寺家(せそんじけ)は、藤原氏から出た氏族の一つ。代々書道の家系であり、その流派は世尊寺流として受け継がれた。
藤原行成が晩年、母の里方の代明親王の邸宅だった桃園第(平安京一条の北、大宮の西、大内裏の北郊で現京都市上京区大宮通一条上ルの西方)に隠棲し、邸宅内に世尊寺を建立し、またその子孫が世尊寺家を名乗り、代々そこを住居としたためこの名を名乗る。
初代藤原行成から17代を数えるが、17代目の世尊寺行季没をもって、世尊寺家は完全に断絶。
藤原行成(972-1027)
世尊寺行経(1012(あるいは1009)-1050)
世尊寺伊房(1030-1096)
世尊寺定実(-1131)
世尊寺定信(1088-1156)
世尊寺伊房
『藤原伊房』より : 藤原 伊房(ふじわら の これふさ、長元3年(1030年) - 永長元年9月16日 (旧暦) 9月16日(1096年10月4日))は、平安時代中期から後期にかけての公家。世尊寺流の能書家。祖父は権大納言藤原行成。父は参議藤原行経。
1031年(長元4年)従五位下に叙せられ、以後少納言・蔵人・木工頭・権左中弁などを歴任し、1069年(延久元年)6月に蔵人頭、12月に左中弁に任じられた。1072年(延久4年)に右大弁・参議となり、この時の官位は正四位上であった。1080年(承暦4年)権中納言に任じられ、1082年(永保2年)正二位に叙された。1094年(寛治8年)5月25日、遼と私貿易を行ったことをとがめられ、従二位に降格の上、停職を命じられたが、死去の直前に復位が許された。
世尊寺流
世尊寺流(せそんじりゅう)は平安時代、藤原行成を祖とする和様書道の流派の一つ。小野道風、藤原佐理のあとをうけて上代様の書風を完成したとされる。書風は、世尊寺様とも呼ばれ、宮廷や貴族などでは最も権威ある書法として用いられた。
藤原行成が晩年、母の里方の代明親王の邸宅に隠棲し、邸宅内に世尊寺を建立し、またその子孫が世尊寺氏を名乗り、代々そこを住居としたためこの名で呼ばれた。
初代藤原行成から17代を数えるが、享禄2年、17代目世尊寺行季没をもって、世尊寺氏は断絶し、それにより世尊寺流は断絶した。
尊円流
法性寺流
持明院流
世尊寺家
書道流派 せそんしりゆう
世尊寺伊行
世尊寺伊行(せそんじこれゆき、保延5年(1139年)? - 安元元年(1175年)?)は、平安時代後期の能書家。書の家柄である世尊寺流の6代。父は世尊寺定信。娘に建礼門院右京大夫がいる。官位は従五位上、宮内少輔。
1153年(仁平3年)知足院堂供養の願文を清書しており、1159年(平治元年)と1166年(仁安元年)には大嘗会の悠紀主基(ゆきすき)屏風の色紙形の筆者に選ばれている。書道の秘伝書「夜鶴庭訓抄」は伊行が娘に書き与えたものである。
書跡に「戊辰切」「葦手下絵和漢朗詠集」がある。
能書家 せそんしこれゆき
藤原氏 これゆき
平安時代の人物 せそんしこれゆき
世尊寺行経
世尊寺 行経(せそんじ ゆきつね、寛弘6年(1009年) - 永承5年閏10月14日 (旧暦) 10月14日(1050年11月30日))は、平安時代中期の能書家。父は藤原行成。従二位三木兵部卿。和様書道の流派世尊寺流二代目。
高野切 ※この切の第一種は彼の真筆であるとされる説もある。
詩歌切
朗詠集切
世尊寺家
藤原氏 ゆきつね
平安時代の人物 せそんじ ゆきつね
能書家 せそんし ゆきつね
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